腰痛は脳の勘違いだった


戸澤 洋二著  風雲舎


 この本を読む前は、きっとTMS理論に関するものだろうと思っていました。ところが読んでみると、 TMS理論にも触れてはいるがそれにこだわらず、自分自身の体で感じたこと、自分の頭で考えたこと が書かれています。この著者の一連の思考方法は、我々医師が治療をしながら診断を進めてゆく方法、 すなわち、「治療的診断」に等しいものであることがわかります。
 この本は全体にひとつのストーリー性があり、是非読むことをお勧めしますが、ここでは内容を検証するために 症例報告風のスタイルでまとめてみます。

1.症例の提示

 症状が出てから約6年後に急激に悪化した時点を基準点とし、それ以後に 開始した治療と症状の変化を検討する形で整理しました。年齢・西暦などは前後の関係で類推したもので正確なものではありません。

55歳男性、職業:管理職(電気電子関係)
主訴:腰痛および左殿部・左下腿外側の疼痛。下肢痛のため歩行障害を伴う。
病歴:1999年2月、庭仕事を3日間行ったあと腰痛が出現。腰痛は3日程度でおさまったが、そ
   の後左下肢痛が出現。下肢痛は最初は膝の裏であったが次第に下腿遠位に広がった。
   近医を受診、L5/S1の椎間板ヘルニアと診断され温熱・牽引などの理学療法を開始。
   これにより腰痛は多少軽減するものの左下肢痛は不変または増悪。
   1999年12月よりカイロプラクティック・整骨院・鍼灸院・中国整体などで施術を受ける
   も無効。2001年冬より始めた水中歩行、2002年から始めたストレッチはある程度の効果
   があり、その後小康状態の続く時期もあった。
   2005年秋仕事上のストレスもあって症状が悪化。
既往:20歳ぐらいから年に1度位腰痛が出現したが2週間以内には軽快していた。
   以前、マラソンで左下肢の腱を痛めたことがある。(詳細不明)

治療経過:
   2006年1月、青梅市内の総合病院にて硬膜外ブロックを行い、消炎鎮痛剤、プロスタグラ
   ンディン製剤(腰部脊柱管狭窄症に有効)の投与を受けたがいずれも無効。
   2006年1月末、国際医療福祉大学三田病院を受診、手術の適応なしと診断。
   2006年3月 神経根ブロック(左L5)を行う。いったん下肢痛は消失したが翌日には元の
   痛みが戻る。
   2006年4月 高圧酸素療法を行うも無効。
   2006年5月 長谷川淳史氏(TMSジャパン代表)のオフィスを訪ね、その後セミナーにも
   参加。痛みに対するコントロールは多少可能となるが疼痛は持続。
   2006年5月30日 NTT東日本関東病院のペインクリニックを受診。トリガーポイントブロ
   ックと硬膜外ブロックを併用。抗うつ剤を処方される。
   その後次第に疼痛が軽減し、10月には完治したと感じるまでになった。


2.病態の検討

 まず経過や検査結果から、なぜこのような症状が起こったのかを検討してみます。

 「腰痛は3日程度でおさまったが、その後左下肢痛が出現。下肢痛は最初は膝の裏であった・・・」 腰痛がおさまった後に下肢痛が出現するのは、まさに椎間板ヘルニアが生じる時の症状経過です。しかも 膝の裏ということならS1神経根症状で、L5/S1の椎間板ヘルニアを示唆します。しかし時間が経過してから 起こってきた殿部・下腿外側の痛みはS1の神経根症状とは異なります。ここで考えられることは次の2つです。

@L5/S1で生じたヘルニアは椎間板のかなり外側で発生して、S1ではなくてL5の神経根を刺激した。
A殿部・下腿外側の痛みは神経根症状とは関係がなく、むしろ筋肉・筋膜の症状である。

MRIによると小さなヘルニアということで、それが最初はS1次にL5というふうに両方の神経根を刺激することは考えにくいので、 Aのほうが有力であると思われます。実をいうと、殿部・下腿外側の痛みを訴える患者さんを私もたくさん診ています。 よそでは坐骨神経痛と診断されていることもありますが、よく診察すると神経症状ではなくて筋肉痛の場合が ほとんどです。
 この痛みが筋肉痛であるという診断がなされなかったのは何故か。それにはいろいろなことが考えられます。

・痛みの部分がたまたまL5神経根の支配領域であった。
・画像所見に頼りすぎている。
・痛む部分の局所の性質(例えば圧痛・緊張をかけたときの痛みなど)を調べていない。
・筋肉痛がこんなに長く続くと思っていない。
・教科書に書いてない。
等など。

 さて、著者に何が起こったのかということをまとめてみます。

1)20歳ごろからよく起きていたぎっくり腰は徐々に椎間板の変性をもたらした。
2)庭仕事により腰部に負担がかかり椎間板ヘルニアを起こした。と同時に左股関節周囲にも負担
  をきたし、殿部痛を生じた。椎間板ヘルニア自体は軽く、これによる症状はおさまったが筋肉
  の疼痛だけが残存した。
3)左下腿外側は庭仕事中に負担がかかったかもしれないし、腰痛や殿部痛をかばうようにして歩
  いたために疲労を起こしたかもしれない。
4)筋肉痛を起こした部分に対しては休息がとられることもなく、疲労やストレスが加わることに
  より症状が慢性化した。

以上はあくまでも私の類推ですが、おそらくそんなに外れてはいないと思います。


3.治療法の検討

 次に、上で検討したことが正しいと仮定した場合、実際に行われた治療法の意味を検討してみます。

<水中歩行>  痛みのある筋肉への負担をあまりかけずに運動ができるので有効と思われます。
<ストレッチ>  筆者は3種類のストレッチを行っていますが、そのうち2つは殿部の筋肉と下腿
         外側の筋肉をストレッチするのに有効であると思われます。
<硬膜外ブロック>MRIの結果からわかるように脊柱管内に原因が無いので効くとは思われません。
<神経根ブロック>これは末梢から中枢への疼痛の伝達を遮断するので、麻酔の有効時間だけは
         効果があるでしょうが、根本的な治療にはならないでしょう。
<トリガーポイン
 トブロック  >殿部と下腿外側へのトリガーポイントブロックは直接筋肉の硬結を取り、痛みを和ら
         げるだけではなく筋肉への血流を改善します。末梢神経に働くというより筋肉に働く
         という表現のほうが適切かと思われます。
<抗うつ剤>  ストレスで筋肉が緊張するのを防ぎます。

 以上のように、筆者が「効いた」という治療法は、それなりの根拠があると思います。そして、筆者が最も言いたいことは、 「痛みのループ」を断ち切るのは、上のような受け身の治療だけでなく、自分自身が積極的に痛みから解放されるような努力・工夫を するべきだ、ということでしょう。


 本の題名が「腰痛は脳の勘違いだった」なのですが、腰痛が空想の産物であるという意味ではありません。 腰痛ではあくまでも体に特定の状態が出現しているわけですが、その治癒を妨げるのが「脳の勘違い」という ことだと解釈しました。


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